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Thinking

やる気とは何か・・・または人はなぜ'それ'をやることが楽しいと感じるのか?について

自分が持っているもの(=身体能力など)を十分に活用しようとする、というのが人間・・・ということを以前、聞いた。 そのときは、それはその通りなんだろうな、と理解したのだが、 最近子供とプールにいく機会があり、 本当!それな って納得した。

一日中でもプールにいたい(そしてそれが実際に楽しいと言う)

子供と近所の市民プールにいった。 市のプールだから、流水があるわけでもないし、ロングスライダーがあるわけでもない。 水が張ってあるだけのどうということはないプール。 しかし、子供は朝から晩までいたいという。 そこで何をしているかというと(彼は泳げないので)ビート板でバタ足したり、潜ったり、ただそんなことの繰り返し。 でも楽しいらしい。

そういえば自分も子供のころ、夏はプールによく行っていた気がする。 何が楽しかったのか具体的に説明しようがないが楽しかった、という記憶がある。
しかし今はわたしにとってプールは全く楽しくない。 これはとても疲れるのでダイエットにいいな、という思いはあるにしても、決して楽しくはない。

振り返ってわたしは、あれこれメモしたり、いわゆる Life ハック 的なことが好きである。 彼にとってのプールと同じように一日中やっていても飽きることはない。

なぜそれをやり続けることができるのか? そして子供の時好きだったプールが今は嫌いな理由はなんだろう? と思ったときに、はっきりしていることは、自分にとって身体を動かすことはもはや苦痛、ということ。それはプールで遊ぶために活用すべき能力が、もはや子供の時と比較して減ってしまったのだろう。 そう考えると、コンピュータもそうだった。 インターネットにつながったコンピュータ(Linux)があれば、どれだけでもそれに没頭することができる。 それはそれを扱ういくばくかの能力が自分にあって、それをもっと活用しようとしているからだろう。 もし、MS-Office しか動かないPCだったら、すぐ飽きてしまうから。

なぜそれをやるモチベーションが維持できるの?という質問に対して、好きだからと答えてしまうと それ以上、なぜそれをする気が起きるかの説明にならない。 好きな理由を説明しようとしても、 好きだから好き、ということになってしまうだろうから。
… という意味では、 人は持っている能力をより活用しようとするためだ というのは、 人がなぜそれをするのか、という理由の、「好きだから」というよりは、よい説明な気がする。